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      <title>為替取引1.2.3</title>
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      <description>為替取引についての情報はコレだー！</description>
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         <title>金為替(本位)制とは？</title>
         <description><![CDATA[この動きに対して決定的な影響を与えたのが、いうまでもなく1936年(昭和11年)9月25目に発表された三国通貨協定でした。


そして、その翌月の10月13目に発表された三国間の金の自由交換協定だったのです。


つまり、これまでアメリカがドルの金見換を許していたのは、金ブロック国のような固定価格で金を売却する国に対してのみであり、伸縮的な価格で金を売却する国に対しては、これを許しませんでした。


ですから、1931年(昭和6年)9月21目に金免換を停止したイギリスはもちろん、1936年(昭和11年)10月2目に金免換を停止することになったフランスに対しても、アメリカは金免を許すことができなかったのです。


ところが、この協定により、固定価格でなくてイギリスやフランスの為替平衡勘定または為替安定資金がアメリカに対し金の売却を許すならば、アメリカもまた、これらの資金または勘定に対して、定価格での金の売却を許すことになったのです。


ですから、三国間に限って、メリカのドルは、金為替になったのです。


それに対して、ポンドとフランこのような完全な意味での金為替ではありませんでした。


これは、今でいう<a style="color:#333; font-weight:normal" href="http://www.central-tanshifx.com/topics/quick-chart-trade/" target="_blank">システムトレード</a>のような伸縮的な金価格での金価が保証されたにすぎません。


けれども、これらは、平衡操作を通じて確保さる安定的な為替相場でのドルとの交換が保証されました。


これが、いわば通貨制度として金為替(本位)制と呼ばれるものになりました。

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         <pubDate>Sun, 17 Oct 2010 11:14:28 +0900</pubDate>
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         <title>国際通貨としての金の機能</title>
         <description><![CDATA[<a style="color:#333; font-weight:normal" href="http://www.central-tanshifx.com/" target="_blank">fx初心者</a>のためのこのブログ、今回は国際通貨としての金の機能について。


ドルが1934年(昭和9年)1月30日の金準備法およびそれにもとづく1月31日の財務省の金政策に関する声明において、


「金本位通貨との為替相場が、金輸出点に到達したときには、いつでも外国中央銀行に対して、金1オンス=35ドルに4分の1%を加えた価格で売却する」


・・・ということを規定したのもこれです。


この場合、金本位国とは当時のフランスを盟主にした金ブロック諸国ですから、アメリカのドルは、これによって、国内的には不換だけれども、対外的には金ブロック諸国に対してのみ金免換を再開したことになります。


その限りにおいて、ドルはこの金ブロック諸国との間において、金為替として金に代わる国際通貨の機能を果たすことが許されたのです。


ところが、この金ブロックは、その後加盟国の脱落もあって、事実上解体の憂き目をみることになりました。


中心国であったフランスのフランも1936年(昭和11年)8月のスペイン内乱の突発を契機に、同年9月25日のフランの切り下げ、同28日の金の海外輸出禁止および同年10月2日の「新貨幣法」の公布によって金免換停止への道を歩みました。


その結果、アメリカのドルの金免換は有名無実化し、その金為替としての国際通貨の機能は事実上果たされなくなったのです。


国際通貨としての機能は、世界貨幣としての金のみによって営まれるようになり、世界経済がこれによって混乱させられないはずはなかったのです。


このような事態に鑑み、ドルやポンドさらにはフランの国際通貨としての機能の回復が図られるのは必然でした。

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         <pubDate>Sat, 16 Oct 2010 11:11:22 +0900</pubDate>
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         <title>アメリカ経済とイギリス経済</title>
         <description><![CDATA[こんにちは。


<a style="color:#333; font-weight:normal" href="http://www.central-tanshifx.com/" target="_blank">fx口座開設</a>をする前に、少し世界の経済や金融事情について勉強しましょう。


今日はアメリカ経済とイギリス経済の歴史です。


第一次大戦を契機にして、アメリカ経済の世界経済に占める地位は相対的に高まり、イギリスのそれを凌駕するにいたりました。


したがって、これがドルの国際通貨としての地位の強化に役立たないはずはなかったのです。


もっとも、アメリカのドルも、1933年(昭和8年)3月6日の緊急の金銀輸出禁止措置、ならびにそれにつづく3月9日の緊急銀行法の制定によって事実上金見換を停止しました。


したがって、これを契機にドルの国際通貨としての地位を相対的に低下させないはずはありませんでした。


この時点で金免換を許す主要国通貨は、フランスを盟主にした金ブロック諸国の通貨のみでした。


このため、金に代わる国際通貨としての金為替の利用は、非常に停滞したのです。


それに代わって本来の国際通貨である世界貨幣としての金が、再登場をよぎなくされました。


そして、金によって、国際通貨の最後の砦が守られたのです。


しかし、これは国際間の交流を進めるにあたって、けっして好ましいことではありませんでした。


金為替に比べて、取引上の不便は避けられないものでした。


それだけに、国際間の交流は、これによって大いに妨げられたのです。


ここにおいて、この窮状を打開するために、不換通貨の金免換再開が企図されました。

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         <pubDate>Sun, 10 Oct 2010 11:08:54 +0900</pubDate>
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         <title>ポンド為替とドル為替</title>
         <description>ポンド為替は、この場合、金為替でなくても、この地域内に限って国際通貨として機能させられました。


しかし、もともと金為替でなければ国際通貨としては機能しえません。


それを国際通貨として機能させるのですから、そこに無理があったのです。


各国の金融主権が、これによって、侵害されましました。


ですから、英連邦諸国のようなイギリスの植民地は別として、当初スターリング地域に属した日本などの独立国はこれを嫌って、スターリング地域から脱退しましました。


そして、ポンド為替を国際通貨として利用することを拒否したのです。


その結果、スターリング地域は、英連邦諸国の通貨圏になり下がると同時に、ポンド、スターリングはこの通貨圏内のみにおいて機能する局地通貨に転落しました。


ところで、このようにポンド為替が金為替であることをやめ、局地通貨になり下がるとともに、ポンド為替に代わって国際通貨としての地位を占めるにいたったのがドル為替でした。


つまりアメリカ・ドルは、ポンドが金免換を停止した1931年(昭和6年)9月当時にあっては、まだ金免換を保証していたのです。


それだけに、ポンドの地位の後退とともに、それが脚光を浴びるのは必然でした。

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         <pubDate>Thu, 07 Oct 2010 11:07:37 +0900</pubDate>
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         <title>金為替とドル</title>
         <description>今日は金為替とドルについて。


金為替が金に代わって国際通貨として機能することは、よく知られていることでしょう。


そして、ロンドンで金に免換されるかつてのポンド、スターリングが、その典型的な例でしました。


ところが、このポンド為替は、ドイツ金融恐慌の余波を受けて、1831年(昭和6年)9月21日に金との免換を停止するとともに、金為替であることをやめましました。


したがって、これを契機にポンド為替の国際通貨としての地位は、大いに揺らいだのです。


ときあたかも、イギリスの世界経済に占める地位は、第一次大戦の傷手を受けて、大きく後退していましました。


したがって、これがポンド為替の国際通貨としての地位の後退に拍車を加えぬはずはなかったのです。


もっとも、ポンド為替は、金見換停止を契機に、全面的に国際通貨としての機能をやめたわけではありませんでしました。


従来、ポンド為替を国際通貨として利用していた国際間にあっては、それを国際通貨として利用しましました。


いわゆるスターリング地域なるものが、自然発生的に形成されたのは、このときです。

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         <pubDate>Mon, 04 Oct 2010 11:06:54 +0900</pubDate>
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         <title>こんにちは</title>
         <description>今日から外国為替関係の情報を集めたブログをはじめます。


どうぞよろしくお願いします。


ではまずは、外国為替の歴史から紹介します。


有名な1922年(大正11年)4月のジェノア会議というものがあります。


この中で、金融委員会の決議が行われましました。


この会議自体は、もともと1922年(大正11年)初めカンヌ経済会議の決定にもとづき大戦後のヨーロッパの経済復興の方途を探求するためにジェノアに召集されたものです。


そして、これは、その中の政治委員会におけるロシア問題の処理をめぐる意見の対立により、完全に失敗しましました。


けれども、その中の金融委員会が行なった通貨問題に関する決議は、「非常に価値あるものとなった」のです。


なぜかといえば、その第9条において、次のような金為替(本位)制の採用に関する重要な提案がなされていたからです。


「また同会議は、在外資金の形式をもって準備金を保有することにより、金使用を節約するなんらかの方法、たとえば金為替本位または国際決済制度のようなものを具体化すべきである」と。


この提案は、当時第一次大戦前の金貨(本位)制度への復帰に悩んでいた各国にとって都合の良い指針とならないはずがありませんでしました。


各国は争ってこの制度の採用に走りましました。


その結果、この制度は、前にみた第一次大戦前とは異なり、後進国や植民地のみならず、一部の先進国にまで、その普及をみたのです。

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         <pubDate>Sat, 02 Oct 2010 11:04:12 +0900</pubDate>
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